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スピリチュアルカウンセラーMEIKO・ 愛と光のスピリチュアルブログ

スピリチュアルカウンセラーMEIKOがあなたの魂を愛と光で包みこみ。 ヒーリングアート、フォト、ポエムでお心を癒し天上界からあなたにぴったりのエンジェルメッセージを降ろします。 あなたのお心が愛と光りに包まれて癒され満たされますように。
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(父3)
こんばんは

皆様、お元気ですか?

スピリチュアルカウンセラーMEIKOです。

(父3)のエッセイを書きます。

私が父の黄泉の国の旅立ちのことをエッセイで公表するのは、あの世に移行する体験を三次元的に、またスピリチュアル的にしっかりと知って頂きたいと思う心で書いています。
出来れば、内密にしたい出来事ですが敢えて書いています。

まだ、真新しい体験で、感情がざわついている時にエッセイ(父1)(父2)を書かせていただきました。
今回(父3)は初七日をすませ、時間が経って感情もおさまった状態で書きます。

(父3)

父の呼吸が苦しそうに喘いでいます。

私と妹と看護師さんは、父の身体をさすりながら、肉体を持った人間としての最後の仕事をサポートしているかのようです。

「父ちゃん、父ちゃん、辛かったね、苦しかったね、もうすぐ楽になるからね。」

私は父の身体を抱きかかえて大きな声で語りかけました。

しばらくすると、父の身体から魂がフッと抜けました。
頭から一気に抜けました。

私は思わず「抜けた、魂が抜けたよ。」と言いました。

妹も霊感があります。

「うん、今、抜けたね。分かったね。」

「抜けたよ。父ちゃん。抜けたね。上手だったよ父ちゃん。」と父を褒めてあげました。

私と妹は、父の魂の抜け殻をしばらく、触っていましたがソッと手を離しました。

心電図の波形が止まりました。

その直後にドクターがいらして、瞳孔を確認してくれました。

「時間は?」と時計を見ようとされましたが、5時19分でしたので、私は「9」という数字は嫌でしたので、ドクターに「待ってください。9は嫌です。」と言ってしまいました。

「はぁ?」と言う顔をされました。

「9は苦しむの9ですよね。」

「あ、あ、、。」

ドクターが私の話を聞き納得され、しっかり丁寧に死亡鑑定をしてくださり、「死亡時間5時22分です。」と父の最後の時間を告知されました。

「本当にありがとうございました。」とドクターにお礼を言いました。

そして、父に「よく頑張ったね、偉かったよ。父ちゃん、お疲れさま。」と話しかけました。

私も妹もやり尽した、満足感で包まれ、悲しみさえも愛に変っていました。

その後しばらくしてから、兄と義理の姉と、父のお嫁さんが駆けつけました。

魂の抜けた肉体に、父のお嫁さんは抱きつき泣かれました。

私と妹は、もう、頭のどこかで冷静になっていました。

その姿を私は病室の壁にもたれかかり、傍観していました。

父が再婚して30年という月日を私はまるで、敗者のような感覚で生きてきました。

父のお嫁さんは父の死に目に会えませんでした。

その現実に、「だから、今夜くらいは泊まって父の傍にいて欲しいとお願いしたでしょう。あなたが拒否したのよ。だから父の死に目に会えなかったのよ。」と冷静にひややかな感情で父のお嫁さんを見ていました。

心の片隅で「父ちゃんは、私の腕の中で逝ったのよ。」と思い勝者気分になっていました。

人間は残酷な生き物です。

そんな時に、私は父のお嫁さんを労ることは出来ませんでした。

そして、父の遺体は葬祭屋の方に来て頂き、病院の裏から静かに車に乗せられ8ヶ月お世話になった病院を後にしました。

父の遺体は一旦、実家に戻りました。

朝もやが深く、前が見えにくい中を黒塗りされた葬儀屋の車に妹も同乗し走ります。

その後を追いかける私の車。

太陽が朝もやに包まれて、太陽の輝きがまるで「白い満月の月」のように見えました。

幻想的な風景の中で、私はまるで映画の一コマを撮影しているかのように感じました。

「きれいだな〜。寂しいな〜。空しいな〜。」

心にぽっかり穴が開いている感覚になりました。

無表情で車を運転して父の遺体が乗せられた車の後を追いかけました。

実家についてすぐに、葬祭所に戻りました。

明るくなった街に、学校に行く学生や会社に出勤する人々の元気な姿が見えてきました。

そんな風景が、なお一層悲しみを深くしました。

そして、通夜、葬儀と滞りなく終わりました。

たくさんの弔問の方々、まだ葬式の意味が分からないひ孫達が、控え室でドタバタ楽しそうに遊んでいる環境の中、父の葬儀は無事に終わりました。

父を慕うたくさんの人々。

家族を慰める人。

私は、この一環の流れの中。

「これが人生なんだ。」と何故か確信しました。

父は明るく、ユーモラスで元気で、思いやりがあり本当に素敵な人でした。

私はそんな父に可愛がってもらい、本当に幸せでした。

私は父が大好きでした。

父を大好きな私は、男性の前では、無邪気な子供みたいになってしまいます。

それは、世の中の男性は皆、父の様に優しいものだと脳が勘違いしてしまい、男性の前では子供のようになって甘えてしまうのです。

色気は無くなり、本当に子供みたいに、父に愛され大切にしてもらった私は「この世の中の男性は皆、父のように優しくて安心できるのだ。」と思い込み大人になってしまいました。

だから、今でも男性の前で大きな声でわらったり、下品な態度をしたりしてしまいます。

「見た目と違うね。」と若い頃から、よく言われてきました。

父も幸せ。

私も幸せ。

みんなも幸せ。

たとえ黄泉の国に移行した魂でも私には全然関係ありません。

私の父を思う気持ちはひとつも変りません。

私がこの世で一番怖れていた「父の死」は実際体験してみれば、なんて素敵なこと。

大好きな父の魂を常に感じることができて、しっかり守ってもらえます。

妹から父の遺影を小さな額にいれてもらい、毎日、出かける時にも「父ちゃん行くよ。」とガシッと写真を握り、バックにサッと入れこみ、いつも同伴します。(同伴出勤です。)

父の遺影の顔はその時々で変化します。

大好きな父ちゃん。

私はあなたが大好きです。

これからのメイコを見ていてね。

しっかり大人になるからね。(もう、年から言えば十分大人ですが。)


私は、この体験で心から「スピリチュアルカウンセラーをしていて良かった〜。」と思いました。

色々な角度で、父の死を理解して咀嚼(そしゃく)して消化しています。

もしも、私が何もスピリチュアルな情報を知らなければ、きっと悲しみで立ち上がれず嘆いてばかりいたでしょう。

でも、大丈夫です。

父の応援と守護の中、元気で生きています。

皆様、私の個人的体験で、驚かせたり、悲しませたり、心配をおかけしました。

人間として生まれて来たら、必ず「死」という課題に遭遇します。

大切な方々を失う体験もするでしょう。

でも、安心してください。

人間の命は消えたかのように見えて、実は魂は生き通しです。

魂は、私たちの傍にいて、共に喜び、共に悲しみ喜怒哀楽を楽しんでいます。

そして多大なる力をくれるのです。

また、互いが望めば今世、生まれ変わり私たちの傍にこれる可能性が高いのです。

今の時代は生まれ変わりが早いのです。

実は30年前に亡くなった母は、日本のどこかで、もう生まれ変わっています。
可愛い女の子として。(数年前ビジョンで見えました。)
でも、私は詳しくは詮索しません。

それで良いのです。

魂は自分の修行の為に自分で生まれる場所を決めて生まれてくるのですから。

今、現世に降りて来ている母の魂は分け御霊です。

私の母の魂の意識はある部分に蓄積されています。
(これは、少し難しいのでいずれ詳しく書きます。)


どうぞ、皆様、どれ程、苦しい体験でも、マイナスに取らないで、魂の肥やしとして力強く、立ち上がってくださいね。

それが「魂の成長」に変りますから。

このブログを読んで下さり、理解されたら、どうぞ、友達、知り合いの方が、もしも大切な方を亡くされて嘆いていらしたら、この話をしてください。
どうぞ元気づけてください。

「人の魂は生き通しなんだって、どうやら本当らしいよ。だから嘆かないで、元気に力強く生きることが大切らしいよ。大丈夫、本当は素敵な体験らしいよ。」と励ましてください。

私はそのために、私の個人的体験をブログに書いたのですから。

もちろん、今回のエッセイは父も了解済みです。

皆様、(父1)(父2)(父3)のエッセイを読んで頂いて、ありがとうございました。

良かった、無事に今回のミッションを完成できた。(ホッ〜。)



それでは、皆様、次回。

あなたが愛と光りに包まれますように。

私はあなたを愛しています。

おやすみなさい。
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(父2)
皆様、お元気ですか?

スピリチュアルカウンセラーMEIKOです。

エッセイを書きます。

『父2』


私は父の意識が混濁状態になっている様子を見ていました。
フッと病室の窓から空を見上げました。

雲が龍神様の形をしていました。
昇り龍です。

他にも顔だけ大きく龍神様の顔がたくさん現れていました。

父の生まれ年は「辰年」です。

意識を無にして、ぼっーとして窓辺にもたれ雲を眺めていたら、今度は観音様やお不動様など仏の姿が私の霊眼に写りました。

「父ちゃんは、仏の位の人だったから、たくさんの仏様が迎えにきているね〜。」と思いました。

そして、霊界の状態が霊眼に見えました。
父があの世に移行するので、そちらの方でも慌てて準備をしている様子が見えました。

また、30年前に先にあの世に旅立った母や兄や父の友達、兄弟、親戚の姿も霊眼で見えました。


「あ〜あ、いよいよお迎えがくるんだなぁ〜。」と思いました。
何故だか私の心は落ち着いて、冷静でした。

空は大きなスクーリン、霊眼でよく見えます。

そんなことをして、時間をつぶしていたら、妹が来たので、しばらく二人で話をしていました。
父の状態は変わりません。

私たち家族は、なんだかいつも冗談を言うのが癖になっていて、こんな状態なのに妹と冗談話をしていました。

何十年振りかに妹とゆっくり話をしました。

妹は私と違い幼い頃から、性格がしっかりしていて、私の方が妹のようにしていました。
今回の父の事も、ほとんど妹が段取りをしてくれました。
でも、ひとつも私を責めません。

遠慮がちに「メイコちゃんも、仕事が忙しいとは思うけど、父ちゃんが会いたがっているよ。」と言うだけでした。

そんなしっかり者の妹に反して私は「だって、父ちゃんは、私に嫌なこと言うから、、、。」などと子供みたいなことを言っていました。
今回、そんな私を許してくれる、しっかり者の妹に心から懺悔と感謝しました。

そんな妹が突然、言いました。
「父ちゃんは、メイコちゃんが大好きだったよね。」

「えっー本当?」

「うん、メイコちゃんの話をする時は本当に嬉しそうだったからね。」

「うれしいな〜。」
私と妹は、父の前でずっと喋り通しでした。

一旦帰宅して、仮眠をして、また病院に行きました。

その日の午後1時過ぎに、父は危篤状態になり、家族、親族を呼びました。
子供、孫、ひ孫、親戚30人くらい集まりました。

父は、とても楽しくて、面白い人でしたので、みんなで励ましたり、泣いたりして落ち着いたら、誰からもなく、面白い話になり、「よく、がんばった!」と死を迎える準備に入りました。
すると、なんだか、冗談を言いたくなり、私が小さな声で冗談を言ってしまいました。

甥っ子と娘と仲良しの私は、娘と甥っ子達に「メイコちゃん、いかん、いかん!」と笑いを我慢して私をたしなめられました。

こんな時に何故?私は冗談を言ってしまうのだろう?

でも、血です!DNAです!そうです。父の性質をもらってしまったのです。
「父ちゃん、あんたのせいだからね。」と心の中で思いました。

そして、父は昏睡状態なのに、30人くらいの親戚が集まったら、なんと、また、持ち返したのです。

看護師さんも驚いていました。

私と妹は「父ちゃん、こんな時にエエカッコしいだね。」と笑いました。

父がもうすぐ旅立つのに、不謹慎な姉妹でした。

私は一旦、帰宅して1時間くらい仮眠をして、再び、病院に行きました。

その夜は妹が泊まる番でした。
妹が可哀想で、私もしばらくは病室にいました。

二人ともまた、たくさんおしゃべりをしてしまい、お腹が空いたので、夜中の12時に私の友達に電話して、食べる物を差し入れしてもらいました。

私の友達は、まだ、父の状態が良い時にヒーリングをしてくれたり、何かと心配してくれました。
私と妹と友達と女3人で、昏睡状態の父に背中を向けて、笑いながらコンビニのご飯をたくさん食べてしまいました。

不謹慎でしたが、ご飯が本当に美味しかったのです。
体力が勝負と思いました。

しばらくしてから、付き添いのベッドが一人分だけしかなく、妹を残して私は夜中の2時頃病室を出ました。

「何かあったら、電話して、すぐ駆けつけるからね。」

「うん、わかった。」

病院の夜中の外来は、なんだか不気味で怖い感じがしました。
私は心の中で真言を唱えながら、霊を近寄らせないように、小走りで薄明かりの病院を出ました。

帰宅して、クタクタの私はベッドに沈みました。

いつ記憶がなくなったか分からない状態でした。

まだ、薄暗い時間に携帯電話がなりました。
「もしもし、メイコちゃん、父ちゃんが、もう朝までもたないて看護婦さんが。」
妹が父の危篤を知らせました。

ものすごく、冷静に安定した言葉使いでした。

寝ぼけていた私は、その言葉の状態で少し、寝てしまいました。
本当に不謹慎な。

そして、再度、携帯のベルが鳴りました。

「メイコちゃん、早く、早くきて!」

私は、ふらふら目眩を起こしながら、慌てて、車に乗り込みました。

「早く行かなければ!」と焦りました。
不思議にいつもの道ではないのに、自然にハンドルを切ってしまいました
気がつくと何かに導かれるように、まったく違う道のりを運転していました。

すると、10分くらい短縮して、病院に着きました。
「早く、メイコちゃん、父ちゃんが!」
慌てて、泣きながら、興奮状態の妹が父の身体をさすりながら私を呼びました。

看護婦さんと妹が胸を撫でています。

心電図の波形が不安定な音をたてています。

私は、飛ぶように父の傍に行き、「父ちゃん、父ちゃん!」と叫びました。

父の後頭部に腕を差し込み、抱きかかえるように胸をさすりました。

「大丈夫!大丈夫だよ、父ちゃん、よく、頑張ったね!大丈夫!」と私は私の全エネルギーを父の肉体に注ぎました。

私は父に頬ずりをしたり顔をなでたりしました。

とても愛おしい父の最後です。

ありったけの愛情表現で父を愛でました。

父は意識もなく昏睡状態で呼吸困難でした。

妹は、父のお腹や足をさすっています。

看護婦さんも必死で、身体をさすっています。

父の身体が温かく、優しいエネルギーに包まれています。
私は泣きながら、でも、心は落ち着き、父の最後の頑張りをしっかり受け止めました。
「大丈夫だよ!しっかり現実を受け止めるよ!しっかり生きるから!頑張るから!」私と妹は泣きながら父に語りかけました。

そして「父ちゃん、私たちを守ってよ。」と言った瞬間、父は大きな呼吸をして、意識は無いのに何故か「コクリ」とうなずきました。

「うなずいたよ!返事したよ!」

「うん、うん!したよ。」

妹と私はさすり続けました。

その後、父は2回笑顔の表情になり、また、妹と「わらったよ!わらったよ!」興奮しました。

でも、病室は、何故か、とても温かく、優しく、慎ましげで、荘厳なエネルギーに包まれていました。


父の大好きな昭和の演歌がCDから流れていました。

私と妹と看護婦さんのエネルギーと父のエネルギーが見事なほど、調和していました。



『つづく』




それでは、皆様、次回。

あなたが愛と光に包まれますように。
(父)
こんばんは
皆様、お元気ですか?
スピリチュアルカウンセラーMEIKOです。

今夜は本当に久しぶりにエッセイを書きます。

とても、とても長いエッセイを書きます。
何回かに分けて読んで下さってもいいですよ。

『父』

人生には、魂の試練が時折あります。
その試練は自分を強くしてくれます。

大切な人を失うことは本当に魂の試練になります。

今朝、11月11日午前5時22分に最愛の父が黄泉の国に旅立ちました。

私の腕の中で、静かに眠るように旅立ちました。

今年の3月11日に入院し、手術をしました。
その後の経過には変動がありました。
年齢が87歳で肉体がその手術後に、徐々に弱りました。
最終的には肺炎でした。

たくさんのドラマがありました。

私は、スピリチュアルカウンセラーです。
先を読むことができます。

分かっていました。

そうなるであろうと。

私は27歳で母を亡くして、その時に気が狂うのではないか?と思われるくらい
ショックを受け、長い間、苦しみました。

それから、長い時を経て、大人になり、今回、父の黄泉の国への旅立ちを予感した時に、私は決めました。

「今回は、しっかりと父の死を受け止めよう。毅然と受け止めよう。泣かないでいよう。それが親孝行だ。」と決意しました。

他人様の死に対して、死後の世界のことをお伝えしたことがあります。
「父にも教えないといけない。」そう思いました。

しかし、父は断固として、生き抜くことを決めていました。

少しでも死を臭わす言葉をいえば、嫌な顔をしていました。

結局、いつもお見舞いに行けば、父を怒らせて返る事になります。

父も体調不良やストレスを私に吐きます。

私は嫌な気持ちになったり、時には涙を流しながら帰ったりもしていました。

次第にお見舞いに行く事も嫌になり、心配でもしばらくは行きませんでした。
父は私に会いたい気持ちでしたが、私は自分が元気な時にしか行きませんでした。

元気な時は、温かいお湯で足を洗ってあげたりしました。

もちろん、ヒーリングもしたりしました。
父は幸福感に包まれた顔で「ありがとう、気持ちがいいよ。」と心から喜んでいました。

しかし、死後の世界の話はできず時が過ぎていきました。

そして、ここ数日間で極端に弱り果てた父。

次第に寝ることが多くなりました。

喉に痰がつまり、吸引するのが苦しくなり、あまり喋らなくなりました。

仕事が忙しい私は、仕事に行く前に病院に寄り、父の様子をみてから出かけました。

「仕事で遠出をするけど、また、顔を見せるよ。」と父に語りかけました。
父は酸素をしていて、言葉も上手く出なくなり、かすれた声で「どこまでいくのか?」と聞きました。
「うん、〇〇までいくよ。頑張ってくるね。」と言いました。

その時に病室に誰もいなかったので、私は父に私の本音を今、言わなければと思いました。
いつも言いかけても、言えなかったので苦しいでした。

しかし、その朝、私は父の耳元で「父ちゃん、私は父ちゃんの子供に生まれて本当に良かったよ。父ちゃんが私を大切に育ててくれたから、私は人を大切に出来る人間になれたよ。だから仕事もできるよ。父ちゃん、私は父ちゃんが大好きだよ、愛しているよ。」と大きな声で語りかけました。

父は、母が30年前に死んでから、再婚をしていましたので、なかなか、二人きりになる事ができず、私は父と仲良くする事や、自分の気持ちを言う事は、後からのお母さんに失礼だと思いずっと我慢していました。

でも、もう時間が無い気がして、私は二人きりになるチャンスを見つけ出し気持ちを言いました。
「父ちゃん、父ちゃんも私の事が大好きでしょ?愛しているでしょう?」私は話せない父に問いかけました。

こんな子供みたいな自分が情けなくて涙が出ました。

意識はあるけど、声が出せずに父は二重まぶたの大きな目を開けて「うん、うん。」とうなずきました。
私は、父が再婚をした時に、「捨てられた。もう、私は父に愛されていない。」と思い込んでいましたので、父の本当の気持ちをずっと確かめたかったのです。
そんな強制的な娘の突然の告白に驚いている様子でした。

私は、今まで再婚した父を許せない気持ちと、自分の気持ちを言ってはいけなと思う気持ちとふたつの心の狭間でいつも苦しんでいました。

私は変な人です。

素直になれない自分に嫌気がさしていましたが、このチャンスを逃したくはありませんでした。

でも、私は自分の思いを言えてスッキリしました。

その翌日、妹から「今日は病院に泊まれない?」と連絡が入りました。

仕事の忙しい私に変り、泊まりはほとんど妹の役目でした。
私は、たまたま仕事が空いていたので、初めて病院に泊まることにしました。

そして、同時にフッと嫌な予感がしました。
「もしかしたら、もう、父は危ないかもしれない。だから私に泊まって欲しいのかもしれない?」と、私の娘も私と同じ感覚を感じました。
「お母さん、もしかしたら、じいちゃん、もう危ないかもね。」

夕方、父の所に行き、「今日は、私が泊まるからね。」と父に語りかけたら、コクリとうなずきました。

何度も、何度も手を握り、咳をすれば、すぐ様子をみたり、しばらくは神経過敏になりました。


霊媒体質の私は、病院に行けばたくさんの霊が寄ってきてかなり、疲れます。
しかし、父のために頑張りました。
案の定、私は朝起きてみると、一晩でかなりたくさんの霊を吸収してしまいました。

そして、父は寝る時には意識がありましたが、朝には意識が混濁状態になっていました。

実は、父の魂が3日前に私の心に語りかけてきていました。
「メイコちゃん、父ちゃんはもう、逝かなければいけなくなったよ。メイコちゃん、ごめんね。父ちゃんが再婚して、たくさん寂しい思いをさせてしまったね。父ちゃんはメイコちゃんが大好きだよ。ありがとうね。」と父の魂の声が霊聴で聞こえました。(核に近い魂からのメッセージ)

「そうなんだ。いいよ。父ちゃん、もう、いいから。大丈夫。しっかり現実を受け止めるよ。泣かないよ。」と私もテレパシーで父の魂に語りかけました。

このことは誰にも言いませんでした。
「もうすぐ、父はこの世からいなくなる。」私は一人で覚悟を決めました。

そして、昨日の朝、病室で二人きりになりました。

「意識はなくても、魂は聞いている。」と感じました。
そして、私は意識が混濁状態になった父に、「死後の世界の話」をすることを決めました。

私に語りかけてきた魂よりも、顕在意識に近い父の魂に話すことにしました。(煩悩を握りしめている意識)

私にメッセージを送ってきたのは核に近い父の魂。
今、私が伝えようとしているのは、現世に近い意識の父の魂。

病室には父と私の二人。
呼吸が苦しそうにしている父。
意識も混濁状態の父。

父のベッドの横に仁王立ちになり、大きく深呼吸をして、父に語りかけました。

「父ちゃん、あなたは意識はないけど魂は聞いているでしょう。だからよく聞いて!もう、父

ちゃんは生きられないよ。だから、執着は手放して!すべてのものは手放して!でも、大丈夫!

肉体は消滅しても、魂は生き続けるから、大丈夫。いい?まず魂は頭から抜けるから、苦しくな

いから自然に力を抜くんだよ。そして大きな光が近づいてくるから、その光は先に死んだ母ちゃ

んと大ちゃんや(私の兄)ばあちゃんもじいちゃんや父ちゃんの兄弟姉妹もたくさんの知り合い

が束になって迎えにく
るから、驚いてパニックにならないでよ。そして、しばらくはこの世に存

在できるから、四十九
日間は、霊体になり、自由に動けるから、行きたい所にいけばいいよ。私

の所に来てもいいよ。


そして、四十九日が過ぎれば、自分で先に進むか?まだこの世に滞在するか決められるから、ど

ちらでもいいけど、滞在したいなら、私の近くに居たら良いよ。でも、早く生まれ変わりたいな

ら、早く先に進んで霊界で修行をして、早く生まれ変わればいい、私の娘や孫たちの子供に生ま

変わってもいいよ。そしたら、また、一緒に同じ時を生きられるからね。父ちゃん、もう、時

がないからね。分かったでしょう!執着を手放してよ。大好きだよ。愛しているからね。本当

ありがとう。」私は涙でくちゃくちゃになりながら意識のない父に力強く語りかけました。

父の目がパチクリと驚いた目になっていました。

私は、一足先に父にお別れをして、覚悟を決めました。

家族はまだ、父が黄泉の国に還ることは知りません。

「つづく」



それでは、皆様、次回。


あなたが愛と光に包まれますように。
(MEIKOのひとり言)
皆様、お元気ですか?
スピリチュアルカウンセラーMEIKOです。

エッセイを書きます・

『MEIKOのひとり言』

最近、益々変化が激しくなりました。
世間的にも噴火、地震、大雨など地球規模で起きています。

個人的にも変化の連続です。
昔は、もう少しゆっくりした感じで、時間が過ぎていきましたが。現在はものすごいスピードで時間が走り抜けていきます。

考える間もなく、時が過ぎれば、残るものは倦怠感。
しかし、なんとか蘇生してまた、活動をする。
その繰り返しでは「魂の対話」はなかなかできません。

こんな時に必要なものは?
自分で考えてみます。

自分を見失わないこと、肉体の調整、意識の浄化この3つを意識して生活をしないといけないな〜。と思いました。

意識が変われば環境が変化する。

良きも悪しきも一瞬にして変化する。

意識がネガティブになればマイナスに変化。

意識がポジティブになればプラスに変化。

この意識のスイッチの切り替えが大切になる。
このスイッチは肉体の状態で緩んだり、締ったりする。

精神だけ鍛えても、肉体がひ弱であればいけない。

意識して行動をすることを「有意識」。
意識しないで行動することを「無意識」。

今の変化の時代を生き抜く為には「有意識」が必要になる。

そして、自分自身のあらゆる部分の把握も必要になる。


肉体、精神、霊力、魂の状態を把握することが大切。

それは、有意識でしなければいけない。

人の心や行動は静止できない。

それであれば、他人様の言動に振り回されてはいけない。

それも「いけない。」とあえて有意識で思わないといけない。

肉体が弱ると、精神、魂のバランスも崩れる。

崩れる前に「有意識」であえて意識して微調整をしなければいけない。


つまり、寝る時は寝る。食べる時は食べる。休む時は休む。と意識して調整をすればいい。

なんだか、ダラダラ、エッセイになりました。


それでは、皆様、次回。

あなたが愛と光りに包まれますように。

(私は元気です。)
皆様、お元気ですか?
スピリチュアルカウンセラーMEIIKOです。


(私は元気です。)
みかんさん、グリーンちゃん、コメントありがとうございました。
風邪気味の私の身体を心配して下さったのですね。
優しい心に癒されました。
ありがとうございます。

私は、久しぶりに風邪を引いてしまいましたが、仕事があり、その夜に車で4時間かけて現場に入りました。
一泊して、その翌日も朝から夕方まで、仕事で休む暇がなく、そのまま夜中車で帰宅しました。

気がついたら風邪はどこかへ吹き飛んで、元気になっていました。
山道を一人で車の運転で帰宅しました。

大雨の影響で、土砂崩れ注意報は出ているし、「もし、土砂崩れにあって車ごとペッシャンコになったら、私、死ぬのかな〜?でも、意地でも這い出てやる!」などと考えながら運転をしていました。(土砂と戦うなよ!)ひとりボケ、ツッコミ。

雨は降るし水は道路に湧いて流れているし、しかも、こんな雨の夜です。

途中で後部席に誰か乗っているのを感じるし、多分幽霊を拾ったのでしょう。(男のおじさんでした。)
でも、現実の道路の状態が厳しく、意識は道路にいっていたので、気にはなりませんでした。
気にしなかったら、いつの間にかいなくなっていました。

慣れない山道は運転に緊張します。

一人で寂しいから、歌をうたったり、ひとりボケ、ツッコミをしたり、でも、それも飽きて、音楽を聴いたり、ミントのガムを噛んだり、それも味が濃くて、水が欲しくなるので、水を飲むとオシッコにいきたくなったら、こんな山の中ではヤバイし、すぐに、紙に包んで捨てたり、私はいつも人の中にいますので「時には一人になりた〜い!」と思っていましたが、本当にひとりぼっちになったら、暇で退屈で寂しくて、「やっぱり、一人は嫌だ〜。」と思いながら運転をしていました。

時々、車が入り込んで来て、前に走る車に安堵していたら、すぐに横道に消えてしまい、また、ひとりぼっち。

一人で内観でもして帰ろうと思っていましたが、するもんではないです。
頭はなんにも考えないで、ポサッ〜としています。

あまりにも寂しすぎて
「いけない、リーディングで家族と対話しよう。」と思い、一人一人の魂を呼び出して対話をしましたが、間もなくそれも飽きました。

そんなこんなで、ようやく国道に出ました。
「やった!!国道だ。これで安心だ。」と思い、国道の反対車線は渋滞、車のライトが嬉しくて私は思わず、車の中から「みなさ〜ん、私は頑張って山道から出てきましたよ〜お待たせしました〜。」などと口走り、手を対向車に振りました。
夜中は車内は暗いから、私が何をしても見えないから、安心。


そして、無事に帰宅出来ました。

人間は強い!
気合いで風邪を追い出していました。

でも、皆様はそんな状態とは知らず、私が寝込んでいると思い心配して下さったのですね。本当に、ごめんなさいね。


こんな女なのですよ、私は。

神社参りも数カ所してきましたので、神様からパワーをもらったのかも知れません。

こんな私ですが、どうぞよろしくお願いしますね。

それから今回、たくさんの学びをしました。

お茶屋で、不思議なオバサンに出逢いました。

韓国の歌手に恋をして、8キロ痩せて、白髪頭も黒くなって、だから、「不倫でもいいから恋をしなさい。」と私に恋を進めて来て、そのオバサンはUFOに出逢っていたり、不思議なオバサンでした。

確かに、「この人はET魂だ。」と思い「あなたはET魂ですね。」と声をかけると「嬉しい〜こんな話を理解してくれる人に出会えて。」と喜んでいました。
歳の頃は70歳前後の方です。

私は、一歩外にでると、まったくスピリチュアルな感じは出しません。

「私も、このオバサンのように見られているのかな〜?言動に気をつけなければ。」と思いました。




(この写真は、神様が手を広げているように見えます。)イエ、私は変なオバサンではありません。

それでは、皆様、次回。

あなたが愛と光りに包まれますように。 


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プロフィール
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スピリチュアルカウンセラー MEIKO
性別:
女性
自己紹介:
スピリチュアルカウンセラーのMEIKOです。
スピリチュアルカウンセリング、スピリチュアルヒーリング、ヒーリングアート、ヒーリングポエム、ヒーリングフォト、ヒプノセラピー、エンジェルカード、エンジェルメッセージ、アロマタッチ、過去生回帰、など行っております。
あなたに、愛と光の癒しをお届け致します。

本のご紹介小さな天使から愛するあなたへ
小さな天使から愛するあなたへ

このブログの著者スピリチュアルカウンセラーMEIKOが2003年に出版しました。
天使からのメッセージを言葉に託し、慈しみ、許し、愛そして癒しを与えてくれる詩集。

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Material by Quartz