スピリチュアルカウンセラーMEIKO・ 愛と光のスピリチュアルブログ
スピリチュアルカウンセラーMEIKOがあなたの魂を愛と光で包みこみ。
ヒーリングアート、フォト、ポエムでお心を癒し天上界からあなたにぴったりのエンジェルメッセージを降ろします。
あなたのお心が愛と光りに包まれて癒され満たされますように。
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2025/04
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こんばんは
皆様、お元気ですか?
スピリチュアルカウンセラーMEIKOです。
今夜は本当に久しぶりにエッセイを書きます。
とても、とても長いエッセイを書きます。
何回かに分けて読んで下さってもいいですよ。
『父』
人生には、魂の試練が時折あります。
その試練は自分を強くしてくれます。
大切な人を失うことは本当に魂の試練になります。
今朝、11月11日午前5時22分に最愛の父が黄泉の国に旅立ちました。
私の腕の中で、静かに眠るように旅立ちました。
今年の3月11日に入院し、手術をしました。
その後の経過には変動がありました。
年齢が87歳で肉体がその手術後に、徐々に弱りました。
最終的には肺炎でした。
たくさんのドラマがありました。
私は、スピリチュアルカウンセラーです。
先を読むことができます。
分かっていました。
そうなるであろうと。
私は27歳で母を亡くして、その時に気が狂うのではないか?と思われるくらい
ショックを受け、長い間、苦しみました。
それから、長い時を経て、大人になり、今回、父の黄泉の国への旅立ちを予感した時に、私は決めました。
「今回は、しっかりと父の死を受け止めよう。毅然と受け止めよう。泣かないでいよう。それが親孝行だ。」と決意しました。
他人様の死に対して、死後の世界のことをお伝えしたことがあります。
「父にも教えないといけない。」そう思いました。
しかし、父は断固として、生き抜くことを決めていました。
少しでも死を臭わす言葉をいえば、嫌な顔をしていました。
結局、いつもお見舞いに行けば、父を怒らせて返る事になります。
父も体調不良やストレスを私に吐きます。
私は嫌な気持ちになったり、時には涙を流しながら帰ったりもしていました。
次第にお見舞いに行く事も嫌になり、心配でもしばらくは行きませんでした。
父は私に会いたい気持ちでしたが、私は自分が元気な時にしか行きませんでした。
元気な時は、温かいお湯で足を洗ってあげたりしました。
もちろん、ヒーリングもしたりしました。
父は幸福感に包まれた顔で「ありがとう、気持ちがいいよ。」と心から喜んでいました。
しかし、死後の世界の話はできず時が過ぎていきました。
そして、ここ数日間で極端に弱り果てた父。
次第に寝ることが多くなりました。
喉に痰がつまり、吸引するのが苦しくなり、あまり喋らなくなりました。
仕事が忙しい私は、仕事に行く前に病院に寄り、父の様子をみてから出かけました。
「仕事で遠出をするけど、また、顔を見せるよ。」と父に語りかけました。
父は酸素をしていて、言葉も上手く出なくなり、かすれた声で「どこまでいくのか?」と聞きました。
「うん、〇〇までいくよ。頑張ってくるね。」と言いました。
その時に病室に誰もいなかったので、私は父に私の本音を今、言わなければと思いました。
いつも言いかけても、言えなかったので苦しいでした。
しかし、その朝、私は父の耳元で「父ちゃん、私は父ちゃんの子供に生まれて本当に良かったよ。父ちゃんが私を大切に育ててくれたから、私は人を大切に出来る人間になれたよ。だから仕事もできるよ。父ちゃん、私は父ちゃんが大好きだよ、愛しているよ。」と大きな声で語りかけました。
父は、母が30年前に死んでから、再婚をしていましたので、なかなか、二人きりになる事ができず、私は父と仲良くする事や、自分の気持ちを言う事は、後からのお母さんに失礼だと思いずっと我慢していました。
でも、もう時間が無い気がして、私は二人きりになるチャンスを見つけ出し気持ちを言いました。
「父ちゃん、父ちゃんも私の事が大好きでしょ?愛しているでしょう?」私は話せない父に問いかけました。
こんな子供みたいな自分が情けなくて涙が出ました。
意識はあるけど、声が出せずに父は二重まぶたの大きな目を開けて「うん、うん。」とうなずきました。
私は、父が再婚をした時に、「捨てられた。もう、私は父に愛されていない。」と思い込んでいましたので、父の本当の気持ちをずっと確かめたかったのです。
そんな強制的な娘の突然の告白に驚いている様子でした。
私は、今まで再婚した父を許せない気持ちと、自分の気持ちを言ってはいけなと思う気持ちとふたつの心の狭間でいつも苦しんでいました。
私は変な人です。
素直になれない自分に嫌気がさしていましたが、このチャンスを逃したくはありませんでした。
でも、私は自分の思いを言えてスッキリしました。
その翌日、妹から「今日は病院に泊まれない?」と連絡が入りました。
仕事の忙しい私に変り、泊まりはほとんど妹の役目でした。
私は、たまたま仕事が空いていたので、初めて病院に泊まることにしました。
そして、同時にフッと嫌な予感がしました。
「もしかしたら、もう、父は危ないかもしれない。だから私に泊まって欲しいのかもしれない?」と、私の娘も私と同じ感覚を感じました。
「お母さん、もしかしたら、じいちゃん、もう危ないかもね。」
夕方、父の所に行き、「今日は、私が泊まるからね。」と父に語りかけたら、コクリとうなずきました。
何度も、何度も手を握り、咳をすれば、すぐ様子をみたり、しばらくは神経過敏になりました。
霊媒体質の私は、病院に行けばたくさんの霊が寄ってきてかなり、疲れます。
しかし、父のために頑張りました。
案の定、私は朝起きてみると、一晩でかなりたくさんの霊を吸収してしまいました。
そして、父は寝る時には意識がありましたが、朝には意識が混濁状態になっていました。
実は、父の魂が3日前に私の心に語りかけてきていました。
「メイコちゃん、父ちゃんはもう、逝かなければいけなくなったよ。メイコちゃん、ごめんね。父ちゃんが再婚して、たくさん寂しい思いをさせてしまったね。父ちゃんはメイコちゃんが大好きだよ。ありがとうね。」と父の魂の声が霊聴で聞こえました。(核に近い魂からのメッセージ)
「そうなんだ。いいよ。父ちゃん、もう、いいから。大丈夫。しっかり現実を受け止めるよ。泣かないよ。」と私もテレパシーで父の魂に語りかけました。
このことは誰にも言いませんでした。
「もうすぐ、父はこの世からいなくなる。」私は一人で覚悟を決めました。
そして、昨日の朝、病室で二人きりになりました。
「意識はなくても、魂は聞いている。」と感じました。
そして、私は意識が混濁状態になった父に、「死後の世界の話」をすることを決めました。
私に語りかけてきた魂よりも、顕在意識に近い父の魂に話すことにしました。(煩悩を握りしめている意識)
私にメッセージを送ってきたのは核に近い父の魂。
今、私が伝えようとしているのは、現世に近い意識の父の魂。
病室には父と私の二人。
呼吸が苦しそうにしている父。
意識も混濁状態の父。
父のベッドの横に仁王立ちになり、大きく深呼吸をして、父に語りかけました。
「父ちゃん、あなたは意識はないけど魂は聞いているでしょう。だからよく聞いて!もう、父
ちゃんは生きられないよ。だから、執着は手放して!すべてのものは手放して!でも、大丈夫!
肉体は消滅しても、魂は生き続けるから、大丈夫。いい?まず魂は頭から抜けるから、苦しくな
いから自然に力を抜くんだよ。そして大きな光が近づいてくるから、その光は先に死んだ母ちゃ
んと大ちゃんや(私の兄)ばあちゃんもじいちゃんや父ちゃんの兄弟姉妹もたくさんの知り合い
が束になって迎えにくるから、驚いてパニックにならないでよ。そして、しばらくはこの世に存
在できるから、四十九日間は、霊体になり、自由に動けるから、行きたい所にいけばいいよ。私
の所に来てもいいよ。
そして、四十九日が過ぎれば、自分で先に進むか?まだこの世に滞在するか決められるから、ど
ちらでもいいけど、滞在したいなら、私の近くに居たら良いよ。でも、早く生まれ変わりたいな
ら、早く先に進んで霊界で修行をして、早く生まれ変わればいい、私の娘や孫たちの子供に生ま
れ変わってもいいよ。そしたら、また、一緒に同じ時を生きられるからね。父ちゃん、もう、時
間がないからね。分かったでしょう!執着を手放してよ。大好きだよ。愛しているからね。本当
にありがとう。」私は涙でくちゃくちゃになりながら意識のない父に力強く語りかけました。
父の目がパチクリと驚いた目になっていました。
私は、一足先に父にお別れをして、覚悟を決めました。
家族はまだ、父が黄泉の国に還ることは知りません。
「つづく」
それでは、皆様、次回。
あなたが愛と光に包まれますように。
皆様、お元気ですか?
スピリチュアルカウンセラーMEIKOです。
今夜は本当に久しぶりにエッセイを書きます。
とても、とても長いエッセイを書きます。
何回かに分けて読んで下さってもいいですよ。
『父』
人生には、魂の試練が時折あります。
その試練は自分を強くしてくれます。
大切な人を失うことは本当に魂の試練になります。
今朝、11月11日午前5時22分に最愛の父が黄泉の国に旅立ちました。
私の腕の中で、静かに眠るように旅立ちました。
今年の3月11日に入院し、手術をしました。
その後の経過には変動がありました。
年齢が87歳で肉体がその手術後に、徐々に弱りました。
最終的には肺炎でした。
たくさんのドラマがありました。
私は、スピリチュアルカウンセラーです。
先を読むことができます。
分かっていました。
そうなるであろうと。
私は27歳で母を亡くして、その時に気が狂うのではないか?と思われるくらい
ショックを受け、長い間、苦しみました。
それから、長い時を経て、大人になり、今回、父の黄泉の国への旅立ちを予感した時に、私は決めました。
「今回は、しっかりと父の死を受け止めよう。毅然と受け止めよう。泣かないでいよう。それが親孝行だ。」と決意しました。
他人様の死に対して、死後の世界のことをお伝えしたことがあります。
「父にも教えないといけない。」そう思いました。
しかし、父は断固として、生き抜くことを決めていました。
少しでも死を臭わす言葉をいえば、嫌な顔をしていました。
結局、いつもお見舞いに行けば、父を怒らせて返る事になります。
父も体調不良やストレスを私に吐きます。
私は嫌な気持ちになったり、時には涙を流しながら帰ったりもしていました。
次第にお見舞いに行く事も嫌になり、心配でもしばらくは行きませんでした。
父は私に会いたい気持ちでしたが、私は自分が元気な時にしか行きませんでした。
元気な時は、温かいお湯で足を洗ってあげたりしました。
もちろん、ヒーリングもしたりしました。
父は幸福感に包まれた顔で「ありがとう、気持ちがいいよ。」と心から喜んでいました。
しかし、死後の世界の話はできず時が過ぎていきました。
そして、ここ数日間で極端に弱り果てた父。
次第に寝ることが多くなりました。
喉に痰がつまり、吸引するのが苦しくなり、あまり喋らなくなりました。
仕事が忙しい私は、仕事に行く前に病院に寄り、父の様子をみてから出かけました。
「仕事で遠出をするけど、また、顔を見せるよ。」と父に語りかけました。
父は酸素をしていて、言葉も上手く出なくなり、かすれた声で「どこまでいくのか?」と聞きました。
「うん、〇〇までいくよ。頑張ってくるね。」と言いました。
その時に病室に誰もいなかったので、私は父に私の本音を今、言わなければと思いました。
いつも言いかけても、言えなかったので苦しいでした。
しかし、その朝、私は父の耳元で「父ちゃん、私は父ちゃんの子供に生まれて本当に良かったよ。父ちゃんが私を大切に育ててくれたから、私は人を大切に出来る人間になれたよ。だから仕事もできるよ。父ちゃん、私は父ちゃんが大好きだよ、愛しているよ。」と大きな声で語りかけました。
父は、母が30年前に死んでから、再婚をしていましたので、なかなか、二人きりになる事ができず、私は父と仲良くする事や、自分の気持ちを言う事は、後からのお母さんに失礼だと思いずっと我慢していました。
でも、もう時間が無い気がして、私は二人きりになるチャンスを見つけ出し気持ちを言いました。
「父ちゃん、父ちゃんも私の事が大好きでしょ?愛しているでしょう?」私は話せない父に問いかけました。
こんな子供みたいな自分が情けなくて涙が出ました。
意識はあるけど、声が出せずに父は二重まぶたの大きな目を開けて「うん、うん。」とうなずきました。
私は、父が再婚をした時に、「捨てられた。もう、私は父に愛されていない。」と思い込んでいましたので、父の本当の気持ちをずっと確かめたかったのです。
そんな強制的な娘の突然の告白に驚いている様子でした。
私は、今まで再婚した父を許せない気持ちと、自分の気持ちを言ってはいけなと思う気持ちとふたつの心の狭間でいつも苦しんでいました。
私は変な人です。
素直になれない自分に嫌気がさしていましたが、このチャンスを逃したくはありませんでした。
でも、私は自分の思いを言えてスッキリしました。
その翌日、妹から「今日は病院に泊まれない?」と連絡が入りました。
仕事の忙しい私に変り、泊まりはほとんど妹の役目でした。
私は、たまたま仕事が空いていたので、初めて病院に泊まることにしました。
そして、同時にフッと嫌な予感がしました。
「もしかしたら、もう、父は危ないかもしれない。だから私に泊まって欲しいのかもしれない?」と、私の娘も私と同じ感覚を感じました。
「お母さん、もしかしたら、じいちゃん、もう危ないかもね。」
夕方、父の所に行き、「今日は、私が泊まるからね。」と父に語りかけたら、コクリとうなずきました。
何度も、何度も手を握り、咳をすれば、すぐ様子をみたり、しばらくは神経過敏になりました。
霊媒体質の私は、病院に行けばたくさんの霊が寄ってきてかなり、疲れます。
しかし、父のために頑張りました。
案の定、私は朝起きてみると、一晩でかなりたくさんの霊を吸収してしまいました。
そして、父は寝る時には意識がありましたが、朝には意識が混濁状態になっていました。
実は、父の魂が3日前に私の心に語りかけてきていました。
「メイコちゃん、父ちゃんはもう、逝かなければいけなくなったよ。メイコちゃん、ごめんね。父ちゃんが再婚して、たくさん寂しい思いをさせてしまったね。父ちゃんはメイコちゃんが大好きだよ。ありがとうね。」と父の魂の声が霊聴で聞こえました。(核に近い魂からのメッセージ)
「そうなんだ。いいよ。父ちゃん、もう、いいから。大丈夫。しっかり現実を受け止めるよ。泣かないよ。」と私もテレパシーで父の魂に語りかけました。
このことは誰にも言いませんでした。
「もうすぐ、父はこの世からいなくなる。」私は一人で覚悟を決めました。
そして、昨日の朝、病室で二人きりになりました。
「意識はなくても、魂は聞いている。」と感じました。
そして、私は意識が混濁状態になった父に、「死後の世界の話」をすることを決めました。
私に語りかけてきた魂よりも、顕在意識に近い父の魂に話すことにしました。(煩悩を握りしめている意識)
私にメッセージを送ってきたのは核に近い父の魂。
今、私が伝えようとしているのは、現世に近い意識の父の魂。
病室には父と私の二人。
呼吸が苦しそうにしている父。
意識も混濁状態の父。
父のベッドの横に仁王立ちになり、大きく深呼吸をして、父に語りかけました。
「父ちゃん、あなたは意識はないけど魂は聞いているでしょう。だからよく聞いて!もう、父
ちゃんは生きられないよ。だから、執着は手放して!すべてのものは手放して!でも、大丈夫!
肉体は消滅しても、魂は生き続けるから、大丈夫。いい?まず魂は頭から抜けるから、苦しくな
いから自然に力を抜くんだよ。そして大きな光が近づいてくるから、その光は先に死んだ母ちゃ
んと大ちゃんや(私の兄)ばあちゃんもじいちゃんや父ちゃんの兄弟姉妹もたくさんの知り合い
が束になって迎えにくるから、驚いてパニックにならないでよ。そして、しばらくはこの世に存
在できるから、四十九日間は、霊体になり、自由に動けるから、行きたい所にいけばいいよ。私
の所に来てもいいよ。
そして、四十九日が過ぎれば、自分で先に進むか?まだこの世に滞在するか決められるから、ど
ちらでもいいけど、滞在したいなら、私の近くに居たら良いよ。でも、早く生まれ変わりたいな
ら、早く先に進んで霊界で修行をして、早く生まれ変わればいい、私の娘や孫たちの子供に生ま
れ変わってもいいよ。そしたら、また、一緒に同じ時を生きられるからね。父ちゃん、もう、時
間がないからね。分かったでしょう!執着を手放してよ。大好きだよ。愛しているからね。本当
にありがとう。」私は涙でくちゃくちゃになりながら意識のない父に力強く語りかけました。
父の目がパチクリと驚いた目になっていました。
私は、一足先に父にお別れをして、覚悟を決めました。
家族はまだ、父が黄泉の国に還ることは知りません。
「つづく」
それでは、皆様、次回。
あなたが愛と光に包まれますように。
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Comment
2015/11/12(Thu) : 無題
御父様が亡くなられた事昨夜聞きました。
心より御冥福をお祈り申し上げます。
私は父を亡くしたのは20歳でした。
当時掛かり付けの医者からは危篤状態ではないと言われ、家族もまさか亡くなるとは思ってもいなかったので、居間でくつろいでいましたが、倒れて大きなイビキをかく父の枕元には何故か私だけ居てだんだん小さくなっていく父のイビキに安堵しながらいましたが、イビキが微かになりちょっと頭が揺れたような気がし静かになりました。
隣の方が様子を見にきて亡くなっていることに初めて家族は気付き救急車を読んだり、私と姉は電話に出ない掛かり付けの医者の元に二キロぐらいの道のりを走ったのを覚えています。
後から思えば父は私が枕元に居たときに息を引き取ったのだと思いました。
亡くなってもづっと亡くなった気がしないまま時が過ぎたような気がします。
8年前は主人を亡くし、半年後には母をなくしました。病床にあった母は主人を亡くした私の元に来れなかった事をさぞはがゆい思いでいたことだったと思います。ですから主人を亡くした後、母の元に行った時は、母からお前も大変だったねと涙されたときは、泣くだけ泣いてベッドにいる母に甘えたら良かったのかもしれませんが、溢れだしそうな涙をぐっとこらえて、ただうなずくのが精一杯でした。
そんなこんなで、母のお世話もあまりできないまま
でしたが、自分の力では動けなくなっていた母にとってはあちらの世界で自由の身になって良かったのではと思いました。
主人を亡くして色々苦しみましたが、周りの人達のお陰様と時間のお陰でここまで来れたように思います。
メイコ様もまだまだお悲しみも多いかと思いますが、お疲れの出ませんようにしてください。
そして、メイコ様もこれからますますスピリチュアルカウンセラーとして、お力を増して行かれることと存じます。
どうぞこれからも頼りにされている方々のため
今後の御活躍をお祈り申し上げます。
心より御冥福をお祈り申し上げます。
私は父を亡くしたのは20歳でした。
当時掛かり付けの医者からは危篤状態ではないと言われ、家族もまさか亡くなるとは思ってもいなかったので、居間でくつろいでいましたが、倒れて大きなイビキをかく父の枕元には何故か私だけ居てだんだん小さくなっていく父のイビキに安堵しながらいましたが、イビキが微かになりちょっと頭が揺れたような気がし静かになりました。
隣の方が様子を見にきて亡くなっていることに初めて家族は気付き救急車を読んだり、私と姉は電話に出ない掛かり付けの医者の元に二キロぐらいの道のりを走ったのを覚えています。
後から思えば父は私が枕元に居たときに息を引き取ったのだと思いました。
亡くなってもづっと亡くなった気がしないまま時が過ぎたような気がします。
8年前は主人を亡くし、半年後には母をなくしました。病床にあった母は主人を亡くした私の元に来れなかった事をさぞはがゆい思いでいたことだったと思います。ですから主人を亡くした後、母の元に行った時は、母からお前も大変だったねと涙されたときは、泣くだけ泣いてベッドにいる母に甘えたら良かったのかもしれませんが、溢れだしそうな涙をぐっとこらえて、ただうなずくのが精一杯でした。
そんなこんなで、母のお世話もあまりできないまま
でしたが、自分の力では動けなくなっていた母にとってはあちらの世界で自由の身になって良かったのではと思いました。
主人を亡くして色々苦しみましたが、周りの人達のお陰様と時間のお陰でここまで来れたように思います。
メイコ様もまだまだお悲しみも多いかと思いますが、お疲れの出ませんようにしてください。
そして、メイコ様もこれからますますスピリチュアルカウンセラーとして、お力を増して行かれることと存じます。
どうぞこれからも頼りにされている方々のため
今後の御活躍をお祈り申し上げます。
プロフィール
HN:
スピリチュアルカウンセラー MEIKO
性別:
女性
自己紹介:
スピリチュアルカウンセラーのMEIKOです。
スピリチュアルカウンセリング、スピリチュアルヒーリング、ヒーリングアート、ヒーリングポエム、ヒーリングフォト、ヒプノセラピー、エンジェルカード、エンジェルメッセージ、アロマタッチ、過去生回帰、など行っております。
あなたに、愛と光の癒しをお届け致します。
スピリチュアルカウンセリング、スピリチュアルヒーリング、ヒーリングアート、ヒーリングポエム、ヒーリングフォト、ヒプノセラピー、エンジェルカード、エンジェルメッセージ、アロマタッチ、過去生回帰、など行っております。
あなたに、愛と光の癒しをお届け致します。
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