スピリチュアルカウンセラーMEIKO・ 愛と光のスピリチュアルブログ
スピリチュアルカウンセラーMEIKOがあなたの魂を愛と光で包みこみ。
ヒーリングアート、フォト、ポエムでお心を癒し天上界からあなたにぴったりのエンジェルメッセージを降ろします。
あなたのお心が愛と光りに包まれて癒され満たされますように。
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2025/05
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皆様、お元気ですか?
スピリチュアルカウンセラーMEIKOです。
エッセイを書きます。
(新聞配達)
子供の頃、毎朝、兄が新聞配達をしていました。
田舎の家は一軒、一軒が離れていて、部数は少ないですが、時間がかかります。
その、新聞配達は、長男から次男に受け継がれました。
小学生までして中学生になれば、次にバトンタッチされるのです。
そして、次男から私に、新聞配達がバトンタッチされました。
大人用の自転車で、大きくて重たい自転車に乗り、私は、朝早く起きて新聞配達に行きました。
身体は小さいし、背は低いし、あまり力のない私は、子供の頃から貧血気味で、朝の新聞配達は苦痛そのものでした。
しかし、兄弟姉妹の無言のお約束のように、当たり前のように引き継がれました。
ヨロヨロしながら自転車をこぎながら新聞を配ります。
「新聞で〜す。」
田舎の家は入り口から玄関まで距離があり、小さな声で挨拶をしても気づいてもらえません。
ようやく配り終わってから、家に戻り朝ご飯です。
毎日、毎日本当に辛い思いでした。
母親に新聞配達をしたくないことを話しても「お兄ちゃん達もやってきたのだから、頑張りなさい。」と言われ諦めました。
ある日、雨が降り、雨具のカッパを着て、自転車をこぎながら、新聞が濡れないようにお腹にいれて一軒、一軒、配りました。
すると雨がひどくなりました。
それでも、早く配らなければ、お客様から怒られます。
必死で雨の中、頑張りました。
すると、お腹が冷えたのでしょう、急にお腹が痛くなりました。
「痛い・・・」
しばらくすると、吐き気と寒気とダブルできました。
「早く、配らなければ!」と焦りましたが、身体が動きません。
米をつく、精米機がある建物が石で出来ていました。
いい具合に雨宿りができる場所が在りました。
自転車を止めて、雨宿りをしました。
お腹を小さな手で押さえて、温めましたが痛みは消えません。
「新聞配らなければ・・・おこられる。」
そのことだけが頭に浮かびました。
寒気と痛みで気が遠くなりました。
どれ程、時間が経ったのか分かりません。
「あ〜私はここで死ぬんだなぁ〜」と考えたら涙が出てきました。
シクシク泣きながら「新聞、配らなければ・・・」
まだ、新聞配達に縛られていました。
随分、明るくなってから、「メイコちゃん〜、メイコちゃん〜!」と声が聞こえてきました。
母の声でした。
「ここにいるよ・・」声が出ません。
小さく身体を丸めて、地面に横たわりながら、「ここにいるよ・・・」と小さな声で母を呼びますが、雨の音にかき消されて分かってもらえません。
大きな自転車に母が気づき、私を見つけ出してくれました。
母は慌てて私を、家まで連れて帰りました。
「ごめんなさい・・・新聞配達おくれて、ごめんなさい。」と母にあやまりました。
母はとても心配して、「大丈夫、残りはお母さんが配るから。」と言ってくれました。
「なぜ、迎えにきたの?」と聞くと「電話がきて、新聞がきていないと苦情がきたのよ。事故にでもあったかと思って心配したよ。」と言いました。
そして、翌日から、新聞配達は妹にバトンタッチされました。
私は、ほんの一週間だけの新聞配達でした。
妹は、私よりも背が高く、身体も大きいので任されたのです。
少し、恥ずかしかったけど、内心「良かった」と思いました。
妹は根性があるので、高校を卒業するまで新聞配達を続けました。
そんな妹が「おねえちゃん、ブラウス貸して。」と相談に来るたびに、私は「うん、いいよ、一枚50円ネ。」と新聞配達でお金をもっている妹からたかる人間になっていました。
今でも、妹は「あの時一枚50円でブラウスを貸したよネ。」と白い目で見られてしまいます。
私は「背に腹は変えられなかったのよ。」と屁理屈をいいます。
そして、その体験は、私が大人になってからも自分自身が影響を受けていました。
今はスピリチュアルな学びで理解出来ますが、私は、自分の子供を育てる時に、過保護過ぎる行動をしたりしました。
学校までの距離が遠いと車で送って行ったり、高校生になり自転車で学校にいくようになった子供を雨降りには送り迎えをしたりしていました。
周りの人は「甘やかし過ぎ。」と言いましたが、私は無視していました。
今では、あの子供時代の体験が「可哀想な子供の存在」に以上に反応していたことに気がつきました。
「子供に無理はさせてはいけない!子供は大切にしないといけない!子供は何もわからないのだから!」私の心に自分が子育てをする時に頻繁に出てきた感情でした。
私のインナーチャイルドが大人になった私に、「あの時は辛かった」とサインを送っていたのです。
自分の分身の子供を過保護にすることにより、あの頃の自分自身を癒して、保護していたのだと気がつきました。
今でも、大人になった子供達に、過剰な行為をしてしまいます。
しかし、私自身のインナーチャイルドのサインを自分がはっきり受け止めましたので、もう、大丈夫です。
大人になっても、子供時代の体験は、自分に影響を与えるのですネ。
どうぞ、皆様も、自分の異常な行動は、インナーチャイルドのサインかもしれませんから、きちんと受け止めてくださいネ。
それでは、皆様、次回。
あなたが愛と光りに包まれますように。
また、明日。
おやすみなさい。
スピリチュアルカウンセラーMEIKOです。
エッセイを書きます。
(新聞配達)
子供の頃、毎朝、兄が新聞配達をしていました。
田舎の家は一軒、一軒が離れていて、部数は少ないですが、時間がかかります。
その、新聞配達は、長男から次男に受け継がれました。
小学生までして中学生になれば、次にバトンタッチされるのです。
そして、次男から私に、新聞配達がバトンタッチされました。
大人用の自転車で、大きくて重たい自転車に乗り、私は、朝早く起きて新聞配達に行きました。
身体は小さいし、背は低いし、あまり力のない私は、子供の頃から貧血気味で、朝の新聞配達は苦痛そのものでした。
しかし、兄弟姉妹の無言のお約束のように、当たり前のように引き継がれました。
ヨロヨロしながら自転車をこぎながら新聞を配ります。
「新聞で〜す。」
田舎の家は入り口から玄関まで距離があり、小さな声で挨拶をしても気づいてもらえません。
ようやく配り終わってから、家に戻り朝ご飯です。
毎日、毎日本当に辛い思いでした。
母親に新聞配達をしたくないことを話しても「お兄ちゃん達もやってきたのだから、頑張りなさい。」と言われ諦めました。
ある日、雨が降り、雨具のカッパを着て、自転車をこぎながら、新聞が濡れないようにお腹にいれて一軒、一軒、配りました。
すると雨がひどくなりました。
それでも、早く配らなければ、お客様から怒られます。
必死で雨の中、頑張りました。
すると、お腹が冷えたのでしょう、急にお腹が痛くなりました。
「痛い・・・」
しばらくすると、吐き気と寒気とダブルできました。
「早く、配らなければ!」と焦りましたが、身体が動きません。
米をつく、精米機がある建物が石で出来ていました。
いい具合に雨宿りができる場所が在りました。
自転車を止めて、雨宿りをしました。
お腹を小さな手で押さえて、温めましたが痛みは消えません。
「新聞配らなければ・・・おこられる。」
そのことだけが頭に浮かびました。
寒気と痛みで気が遠くなりました。
どれ程、時間が経ったのか分かりません。
「あ〜私はここで死ぬんだなぁ〜」と考えたら涙が出てきました。
シクシク泣きながら「新聞、配らなければ・・・」
まだ、新聞配達に縛られていました。
随分、明るくなってから、「メイコちゃん〜、メイコちゃん〜!」と声が聞こえてきました。
母の声でした。
「ここにいるよ・・」声が出ません。
小さく身体を丸めて、地面に横たわりながら、「ここにいるよ・・・」と小さな声で母を呼びますが、雨の音にかき消されて分かってもらえません。
大きな自転車に母が気づき、私を見つけ出してくれました。
母は慌てて私を、家まで連れて帰りました。
「ごめんなさい・・・新聞配達おくれて、ごめんなさい。」と母にあやまりました。
母はとても心配して、「大丈夫、残りはお母さんが配るから。」と言ってくれました。
「なぜ、迎えにきたの?」と聞くと「電話がきて、新聞がきていないと苦情がきたのよ。事故にでもあったかと思って心配したよ。」と言いました。
そして、翌日から、新聞配達は妹にバトンタッチされました。
私は、ほんの一週間だけの新聞配達でした。
妹は、私よりも背が高く、身体も大きいので任されたのです。
少し、恥ずかしかったけど、内心「良かった」と思いました。
妹は根性があるので、高校を卒業するまで新聞配達を続けました。
そんな妹が「おねえちゃん、ブラウス貸して。」と相談に来るたびに、私は「うん、いいよ、一枚50円ネ。」と新聞配達でお金をもっている妹からたかる人間になっていました。
今でも、妹は「あの時一枚50円でブラウスを貸したよネ。」と白い目で見られてしまいます。
私は「背に腹は変えられなかったのよ。」と屁理屈をいいます。
そして、その体験は、私が大人になってからも自分自身が影響を受けていました。
今はスピリチュアルな学びで理解出来ますが、私は、自分の子供を育てる時に、過保護過ぎる行動をしたりしました。
学校までの距離が遠いと車で送って行ったり、高校生になり自転車で学校にいくようになった子供を雨降りには送り迎えをしたりしていました。
周りの人は「甘やかし過ぎ。」と言いましたが、私は無視していました。
今では、あの子供時代の体験が「可哀想な子供の存在」に以上に反応していたことに気がつきました。
「子供に無理はさせてはいけない!子供は大切にしないといけない!子供は何もわからないのだから!」私の心に自分が子育てをする時に頻繁に出てきた感情でした。
私のインナーチャイルドが大人になった私に、「あの時は辛かった」とサインを送っていたのです。
自分の分身の子供を過保護にすることにより、あの頃の自分自身を癒して、保護していたのだと気がつきました。
今でも、大人になった子供達に、過剰な行為をしてしまいます。
しかし、私自身のインナーチャイルドのサインを自分がはっきり受け止めましたので、もう、大丈夫です。
大人になっても、子供時代の体験は、自分に影響を与えるのですネ。
どうぞ、皆様も、自分の異常な行動は、インナーチャイルドのサインかもしれませんから、きちんと受け止めてくださいネ。
それでは、皆様、次回。
あなたが愛と光りに包まれますように。
また、明日。
おやすみなさい。
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プロフィール
HN:
スピリチュアルカウンセラー MEIKO
性別:
女性
自己紹介:
スピリチュアルカウンセラーのMEIKOです。
スピリチュアルカウンセリング、スピリチュアルヒーリング、ヒーリングアート、ヒーリングポエム、ヒーリングフォト、ヒプノセラピー、エンジェルカード、エンジェルメッセージ、アロマタッチ、過去生回帰、など行っております。
あなたに、愛と光の癒しをお届け致します。
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