スピリチュアルカウンセラーMEIKO・ 愛と光のスピリチュアルブログ
スピリチュアルカウンセラーMEIKOがあなたの魂を愛と光で包みこみ。
ヒーリングアート、フォト、ポエムでお心を癒し天上界からあなたにぴったりのエンジェルメッセージを降ろします。
あなたのお心が愛と光りに包まれて癒され満たされますように。
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2025/04
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(密かにコツコツと)
Category エッセイ
皆様、お元気ですか?
スピリチュアルカウンセラーMEIKOです。
エッセイを本当に久しぶりに書きます。
『密かにコツコツと』
私がこのブログを書きたいと思ったのは、2003年以前に瞑想中にハイヤーセルフと遭遇しました。
その時に、この世で感じたことの無い『愛情』に包まれました。
ハイヤーセルフがあなたの今世の課題は『愛、癒し、調和、許し、優しさ、慈しみ』だと教えてくれました。
私の人生はこの課題に基づいたテーマが多くありました。
特に『愛と許し』のテーマが多くありました。
全ては許すことから愛が生まれ、状況が変化する体験をたくさんしました。
『愛が全てを癒すのです。』
私は4人目の子供を24年前に出産しました。
その時に帝王切開でしたので、私は8ヶ月で子供を早産しました。
破水をして救急車で運ばれ入院して、絶対安静でした。
張り止めを点滴していましたが、夜中に張り出しました。
点滴が漏れていましたので、看護婦さんに言ったら抜いてくれました。
「あれ?変だな?点滴は継続のはずなのに?」と思いました、。
緊急で運ばれた私は「先生が点滴は継続しないと今、赤ちゃんが生まれたらいけないからね。」と言われていました。
するとしばらくしてから、陣痛が始まり、夜中に帝王切開の手術になりました。
その時に、私は幽体離脱をして、手術台の私、中間に漂っている私、神様と対話をしている私3人の私を同時に見ました。
神様は銀色と白に輝く光源でした。
荘厳なる声で「愛が全てを救うのです。」と言われました。そのことを詳しく聞かされ『分かったか、愛がすべての人を救うのです。たくさんの人に愛を与えるのです。さぁ、戻りなさい!」と言われて意識が戻り私は手術が終わりストレッチャーで運ばれる最中に目が覚めました。
私は医師に「先生、愛が全てを救うのです。」と麻酔が半覚醒の時に言いました。
医師は「この人何か宗教をしている?」ですまされました。
気がつくと後6時間手術が遅れていたら、母子共にこの世にいなかった状態でした。
あの時に点滴を抜いていなければ私と4人目の子供の命はなかったかも知れませんが、不思議なことにその点滴を抜いたナースはその後一度も会うことが出来ませんでした。
もしかしたら天使がナースに化けて点滴を抜いてくれたのかも知れないと思ったら、後日、ドリーン・バーチュと言うアメリカのスピリチュアルヒーラの本に似たような体験をされた記事が書いてありました。
存在しないドクターに助けられて、そのような人は病院にいなかった体験談が書いてありました。
私もそのような感じでした。
しかし、子供は95%と助からないと言われましたが、必死になり祈り助かりましたが自閉症と言う障害がありました。
私は『死』を垣間見ていましたので、障害については何も悲観的には感じませんでした。
守り、大切に育てようと必死に頑張りました。
今、その子は24歳になり、とても元気で、毎日私とスピリチュアル的に生きています。
人生の危機の時に、天使や宇宙人と心の中で対話をしたり、実際にUFOに遭遇したりと様々な体験をしました。
そして、ヒーリングアートやポエムを書くことで、私は自分の感情を解放しました。
私は天使のメッセージとしてある次元から降りてくる言葉をポエムにしてレポート用紙に2000枚以上書きました。
私の書いているポエムは私が書いているようで私のガイドや天使やまた違う次元の人が書いている状態でした。
私がポエムを書いていると「このポエムはいずれ本になり世に出ますから、このポエムの原稿はきちんと保管していなさい。」とメッサージを受けました。
私は「まさか〜本当かな?」と思い絵やポエムを保管しながら、個展や講演会までするようになりました。
田舎の小さな町で個展をしました。
絵とポエムを展示しました。
友人たちにスタッフを頼み、3日間くらいしました。
もしかしたら田舎だから誰も来ないだろと思っていたら、人が人を読んでくださり、約170人くらいの方が初個展に来てくださり、私はギャラリーに絵や詩を即興で書いてあげました。
人々の喜び感動が私の人生を大きく変えました。
その当時は、40代でしたが頑張りすぎて人生に疲れが出ていた頃でした。
何かに逃避したい時期でした。
その当時、私は自分のはけ口は無く、違う次元に意識を逃がして生きていました。
もしもあの当時、違う方向に逃げていたら、今の私は存在していなかったかもしれません。
私は人救いをすることで自分自身を救っていました。
あの頃は、キラキラと心が輝いていました。
大変な中、何か知らない強烈な使命感がありました。
その当時の私は目に見えない次元の存在にかなり助けられていました。障害児の母ではありましたが、心はウキウキ、ワクワク、キラキラしていました。
絵を描くこと、詩を書くことで私の鬱血した感情はその様な抜け道で見事に浄化されました。
あれ程のネガティヴな感情が意識の濾過器で綺麗なものに変わり、そのエネルギーが人様のためになることが私の心がウキウキした原因だったのでしょう。
そして私が書いた原稿は数年後、実際に本になりました。
文芸社から『小さな天使から愛するあなたへ』というタイトルでした。
原稿はたくさんのポエムの中からランダムに選び出し、項目別に分け出来上がった作品です。
この仕分けも直感ですごいスピードでしました。
この作業も次元の違う存在がしたのだろうと思いました。
東京の文芸社に飛行機で鹿児島から行きました。
雲の上から下界を見ていたら、まるで自分が人間では無い感覚になりました。
変容意識状態になりました。
すると飛行機の羽根の部分に天使がいるのが見えました。
「ぎょ!」と思いましたが私は天使に思わず語りかけました。
「あなたは何故そんな所にいるの?息は苦しく無いの?」
「全然、だって天使だからね。人間は大変ね。」と天使は答えました。
「天使は本当にいるのだなぁ〜。」と私は驚きました。
もちろん天使の声は以前も聞こえていましたがまさか本当に天使を見るなんて、、、。
その間も天使は飛行機の羽根に座り、足をぶらぶらさせていました。
天使に遭遇する前に。雲の上にたくさんの天使がいて雲に穴が空いている部分から下界を見ている様子も目撃しました。
しばらく天使と会話をしていると天使が「もう、行くね。」と言いました。
私は「えっ!一緒に行きましょうよ。」
「ダメなのよ、ここまでしかいけないのよ、下界は汚れているからいけないの、バイバイ〜。」と天使は手を振って飛行機の羽根から飛び降りました。
私の人生で本当に大変な時は天使が必ず導いてくれていましたが、私は最近その存在にコンタクトをとることはせずに、自力で生きていました。
そんな時は、人生が本当につまらないものです。
どれほど大変でも、天使の存在に気がつけば心はウキウキで過ごせますが、我の力や自力で生きると惰性的になり本当につまらない気がします。
ものを書く時は、無心になれます。
私が色々な体験をして、次元の違う存在のサポートを受け、このブログは書いています。
私が書いているようで、私の異次元のサポーターも書いているのがこのブログです。
「上から目線ですね。」みたいなことを言われたりしますが、私は書かされている言葉を書いているだけです。
私自身もこのブログのポエムやメッセージで「そうだよなぁ〜。」と書きながら感じるときもあります。
このブログを書くことにより、私が人生で生き辛い時期に天使や異次元の存在に助けてもらえたように誰かが安心したり勇気をもらったり、自分を肯定したり、もしかしたら自殺を考えている方が生きる気力を取り戻したり、(たまには厳しい言葉など)そんな風にお役に立たせてもらえたら嬉しいと思い、このブログを毎日、密かにコツコツと書いています。
今は、個展は休んでいますが、また、挑戦するのもいいかもしれないと最近思うようになりました。
無心に打算的では無く、純粋に誠実に行う行為は、心も魂も純化されキラキラと輝くのでしょうが大人になるとどうしても、その感情が変化して減ったりしますね。
これからも、私は密かにコツコツと様々な情報を田舎の片隅から発進します。私のブログを誰かが読んでくださっている限り書かせていただきます。
これが私がこのブログを書くことになった経緯です。
本当は、まだまだ不思議体験をしていますが、まだ遠慮して書いていません。
また、そのうちに徐々に書きますね。
それでは、皆様、次回。
スピリチャルカウンセラーMEIKOでした。
あなたが愛と光に包まれますように。
スピリチュアルカウンセラーMEIKOです。
エッセイを本当に久しぶりに書きます。
『密かにコツコツと』
私がこのブログを書きたいと思ったのは、2003年以前に瞑想中にハイヤーセルフと遭遇しました。
その時に、この世で感じたことの無い『愛情』に包まれました。
ハイヤーセルフがあなたの今世の課題は『愛、癒し、調和、許し、優しさ、慈しみ』だと教えてくれました。
私の人生はこの課題に基づいたテーマが多くありました。
特に『愛と許し』のテーマが多くありました。
全ては許すことから愛が生まれ、状況が変化する体験をたくさんしました。
『愛が全てを癒すのです。』
私は4人目の子供を24年前に出産しました。
その時に帝王切開でしたので、私は8ヶ月で子供を早産しました。
破水をして救急車で運ばれ入院して、絶対安静でした。
張り止めを点滴していましたが、夜中に張り出しました。
点滴が漏れていましたので、看護婦さんに言ったら抜いてくれました。
「あれ?変だな?点滴は継続のはずなのに?」と思いました、。
緊急で運ばれた私は「先生が点滴は継続しないと今、赤ちゃんが生まれたらいけないからね。」と言われていました。
するとしばらくしてから、陣痛が始まり、夜中に帝王切開の手術になりました。
その時に、私は幽体離脱をして、手術台の私、中間に漂っている私、神様と対話をしている私3人の私を同時に見ました。
神様は銀色と白に輝く光源でした。
荘厳なる声で「愛が全てを救うのです。」と言われました。そのことを詳しく聞かされ『分かったか、愛がすべての人を救うのです。たくさんの人に愛を与えるのです。さぁ、戻りなさい!」と言われて意識が戻り私は手術が終わりストレッチャーで運ばれる最中に目が覚めました。
私は医師に「先生、愛が全てを救うのです。」と麻酔が半覚醒の時に言いました。
医師は「この人何か宗教をしている?」ですまされました。
気がつくと後6時間手術が遅れていたら、母子共にこの世にいなかった状態でした。
あの時に点滴を抜いていなければ私と4人目の子供の命はなかったかも知れませんが、不思議なことにその点滴を抜いたナースはその後一度も会うことが出来ませんでした。
もしかしたら天使がナースに化けて点滴を抜いてくれたのかも知れないと思ったら、後日、ドリーン・バーチュと言うアメリカのスピリチュアルヒーラの本に似たような体験をされた記事が書いてありました。
存在しないドクターに助けられて、そのような人は病院にいなかった体験談が書いてありました。
私もそのような感じでした。
しかし、子供は95%と助からないと言われましたが、必死になり祈り助かりましたが自閉症と言う障害がありました。
私は『死』を垣間見ていましたので、障害については何も悲観的には感じませんでした。
守り、大切に育てようと必死に頑張りました。
今、その子は24歳になり、とても元気で、毎日私とスピリチュアル的に生きています。
人生の危機の時に、天使や宇宙人と心の中で対話をしたり、実際にUFOに遭遇したりと様々な体験をしました。
そして、ヒーリングアートやポエムを書くことで、私は自分の感情を解放しました。
私は天使のメッセージとしてある次元から降りてくる言葉をポエムにしてレポート用紙に2000枚以上書きました。
私の書いているポエムは私が書いているようで私のガイドや天使やまた違う次元の人が書いている状態でした。
私がポエムを書いていると「このポエムはいずれ本になり世に出ますから、このポエムの原稿はきちんと保管していなさい。」とメッサージを受けました。
私は「まさか〜本当かな?」と思い絵やポエムを保管しながら、個展や講演会までするようになりました。
田舎の小さな町で個展をしました。
絵とポエムを展示しました。
友人たちにスタッフを頼み、3日間くらいしました。
もしかしたら田舎だから誰も来ないだろと思っていたら、人が人を読んでくださり、約170人くらいの方が初個展に来てくださり、私はギャラリーに絵や詩を即興で書いてあげました。
人々の喜び感動が私の人生を大きく変えました。
その当時は、40代でしたが頑張りすぎて人生に疲れが出ていた頃でした。
何かに逃避したい時期でした。
その当時、私は自分のはけ口は無く、違う次元に意識を逃がして生きていました。
もしもあの当時、違う方向に逃げていたら、今の私は存在していなかったかもしれません。
私は人救いをすることで自分自身を救っていました。
あの頃は、キラキラと心が輝いていました。
大変な中、何か知らない強烈な使命感がありました。
その当時の私は目に見えない次元の存在にかなり助けられていました。障害児の母ではありましたが、心はウキウキ、ワクワク、キラキラしていました。
絵を描くこと、詩を書くことで私の鬱血した感情はその様な抜け道で見事に浄化されました。
あれ程のネガティヴな感情が意識の濾過器で綺麗なものに変わり、そのエネルギーが人様のためになることが私の心がウキウキした原因だったのでしょう。
そして私が書いた原稿は数年後、実際に本になりました。
文芸社から『小さな天使から愛するあなたへ』というタイトルでした。
原稿はたくさんのポエムの中からランダムに選び出し、項目別に分け出来上がった作品です。
この仕分けも直感ですごいスピードでしました。
この作業も次元の違う存在がしたのだろうと思いました。
東京の文芸社に飛行機で鹿児島から行きました。
雲の上から下界を見ていたら、まるで自分が人間では無い感覚になりました。
変容意識状態になりました。
すると飛行機の羽根の部分に天使がいるのが見えました。
「ぎょ!」と思いましたが私は天使に思わず語りかけました。
「あなたは何故そんな所にいるの?息は苦しく無いの?」
「全然、だって天使だからね。人間は大変ね。」と天使は答えました。
「天使は本当にいるのだなぁ〜。」と私は驚きました。
もちろん天使の声は以前も聞こえていましたがまさか本当に天使を見るなんて、、、。
その間も天使は飛行機の羽根に座り、足をぶらぶらさせていました。
天使に遭遇する前に。雲の上にたくさんの天使がいて雲に穴が空いている部分から下界を見ている様子も目撃しました。
しばらく天使と会話をしていると天使が「もう、行くね。」と言いました。
私は「えっ!一緒に行きましょうよ。」
「ダメなのよ、ここまでしかいけないのよ、下界は汚れているからいけないの、バイバイ〜。」と天使は手を振って飛行機の羽根から飛び降りました。
私の人生で本当に大変な時は天使が必ず導いてくれていましたが、私は最近その存在にコンタクトをとることはせずに、自力で生きていました。
そんな時は、人生が本当につまらないものです。
どれほど大変でも、天使の存在に気がつけば心はウキウキで過ごせますが、我の力や自力で生きると惰性的になり本当につまらない気がします。
ものを書く時は、無心になれます。
私が色々な体験をして、次元の違う存在のサポートを受け、このブログは書いています。
私が書いているようで、私の異次元のサポーターも書いているのがこのブログです。
「上から目線ですね。」みたいなことを言われたりしますが、私は書かされている言葉を書いているだけです。
私自身もこのブログのポエムやメッセージで「そうだよなぁ〜。」と書きながら感じるときもあります。
このブログを書くことにより、私が人生で生き辛い時期に天使や異次元の存在に助けてもらえたように誰かが安心したり勇気をもらったり、自分を肯定したり、もしかしたら自殺を考えている方が生きる気力を取り戻したり、(たまには厳しい言葉など)そんな風にお役に立たせてもらえたら嬉しいと思い、このブログを毎日、密かにコツコツと書いています。
今は、個展は休んでいますが、また、挑戦するのもいいかもしれないと最近思うようになりました。
無心に打算的では無く、純粋に誠実に行う行為は、心も魂も純化されキラキラと輝くのでしょうが大人になるとどうしても、その感情が変化して減ったりしますね。
これからも、私は密かにコツコツと様々な情報を田舎の片隅から発進します。私のブログを誰かが読んでくださっている限り書かせていただきます。
これが私がこのブログを書くことになった経緯です。
本当は、まだまだ不思議体験をしていますが、まだ遠慮して書いていません。
また、そのうちに徐々に書きますね。
それでは、皆様、次回。
スピリチャルカウンセラーMEIKOでした。
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性別:
女性
自己紹介:
スピリチュアルカウンセラーのMEIKOです。
スピリチュアルカウンセリング、スピリチュアルヒーリング、ヒーリングアート、ヒーリングポエム、ヒーリングフォト、ヒプノセラピー、エンジェルカード、エンジェルメッセージ、アロマタッチ、過去生回帰、など行っております。
あなたに、愛と光の癒しをお届け致します。
スピリチュアルカウンセリング、スピリチュアルヒーリング、ヒーリングアート、ヒーリングポエム、ヒーリングフォト、ヒプノセラピー、エンジェルカード、エンジェルメッセージ、アロマタッチ、過去生回帰、など行っております。
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